くろの雑記帳3 | 2011年05月

傍観者のメモ3

昨日の毎日新聞・朝刊の一面記事

足が不自由 対象外
緊急時を懸念

原発事故で立ち入り規制されている警戒区域への一時帰宅で
「移動に支援を必要とする者は対象としない」
「原発で突発の事態があった場合、バスに速やかに戻れない方には
遠慮してもらいたい。乗り合わせている人まで犠牲にはできない」

高齢で思うように動けない人達に対してのこと

この記事を読んで正直、ちょっとショックを受けた。


以下、思うままに

私の体は全然問題なしで自由に動ける
この記事を読んで感じたのは私自身の難聴のことでだ。

突発事故で(仮に)警報が鳴っても聞こえていなかったら、逃げ遅れ
皆に迷惑かけること間違いない・・・遠慮・辞退もするが・・・。

でも、ほとんどの人が不自由な体、ほとんどの人が難聴だったら、
上記の記事内容のような見解を示しただろうか。

今すぐに出来る人からというのはわかる、それはそれでいい。
この惨状だから仕方ないというのもわかる。

それでも、ただ多数・少数、強者・弱者の構図のあまりに単純な見解に思える。

「てんでんこ」
「津波の時は親子であっても構うな。
一人ひとりがてんでばらばらになっても早く高台へ行け」とは、
また違うように思うが・・・

同じか・・・?

どうやって考えればいいかな。




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